社員を知る
20代での挑戦と失敗があるから今がある。
クラウド事業を切り開いたリーダーの矜持インフラエンジニアとして経験を積み、2023年4月現在はクラウド事業に特化した組織でアシスタントマネージャーを務める山本 竜太郎。若手時代からさまざまなプロジェクトをリードしたキャリアを振り返り「若いうちにチャレンジすること」の大切さを伝えたいと話します。山本が感じる、仕事のやりがいや会社の魅力とは?
Profile
2014年新卒入社。自社プライベートクラウドの設計・構築業務を中心にインフラエンジニアとして活動。 その後、流通・製造・金融など幅広い業界を対象とした自社プロダクトとパブリッククラウドを活用したSI業務に従事。 2021年から係長として、マネジメントとプロジェクト推進における管理業務全般を担当。
失敗を恐れずチャレンジできる環境だからこそ成長できる
時代の最先端に触れる仕事がしたい──就職活動ではそんな想いを軸とし、IT業界に興味を持ったと言う山本。2014年にパナソニック コネクトに入社すると、1年目は自社プライベートクラウドの設計・構築業務に携わります。
リーダーとして企画段階から設計、構築、運用までひと通り携わった山本は、苦労とやりがいを感じたと振り返ります。
山本
「『CMSをつくる』というゴールのためには、インフラ周りだけでなく上に載せるアプリケーションのことも考慮して動く必要がありました。また、完成したシステムを管理するオーナー部門や実際に使用する事業部の方たち、アプリの開発者たちなど、さまざまなステークホルダーとのやりとりもたくさんあって……。
多くの意見を聞きながらインフラに落とし込んでいく作業は、難しくもやりがいを感じましたね」
山本はこのプロジェクトを通じて感じた、パナソニック コネクトという会社の風土を次のように語ります。
山本
「私が『こうだ』と思い込んで実装したものが稼働してみたら違ったということがありシステムが動かなくなってしまったことがありました。そのとき、周りの方たちは失敗を責めるのではなく丁寧にフォローしてくれて、どこがどう悪かったのか、どうすれば良くなるのか、一緒に考えてくれました。
当社には、若手のうちから責任ある仕事を任せてくれるだけでなく、『失敗は若手の特権』と考えてチャレンジを後押ししてくれる文化があります。実際、年の近い先輩たちも同じように挑戦と失敗と成功体験を重ねていますし、それが自分たちの成長につながっていると感じます」
社内のクラウド事業をけん引し、「モノ売り」から「コト売り」へ
入社4~5年目には、アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)をはじめとする、パブリッククラウドの活用案件にアサインされた山本。顧客向けに新規サービスや新規ソリューションを開発する際の窓口となる部署で、山本はプラットフォームの要件定義から設計・構築まで、一手に担いました。
山本
「会社として、パブリッククラウドを軸にしたシステム構築に力を入れていこうというタイミングでした。とはいえ当時は、風土的にもリソース的にもパブリッククラウドを活用していけるような状態からは程遠く……。そんなときに、よりスムーズにクラウドを理解・活用するには、オンプレミスの知見が求められるため、それまでインフラに携わってきた私が推進していくことになったわけです」
パブリッククラウドという新しい領域。山本にとって、大きなチャレンジだったと語ります。
山本
「社内で自由に動かせる検証環境を用意してもらい、まずは自分で頻繁に触って、手触り感を学んでいきました。同時に、AWSが主催しているセミナーなどに積極的に参加して自己学習を続けながらノウハウを増やし、それを社内環境で試す、というサイクルを重ね、力をつけていきました。
そして次のステップとして、既存のサービスをクラウドに移行する、いわゆるリプレイスに挑戦。小さな案件から始め、徐々に実績を積んでいきました」
世間的にもクラウドの需要が増していくなか、さまざまな業界のお客様から相談を受けるようになった山本のチーム。まさに「時代の最先端に触れたい」という就活時の想いを実現した彼は、仕事のやりがいを次のように実感しています。
山本
「時代の変化はものすごく速く、とくにITやクラウドの領域の進化は目まぐるしいものがありました。私が入社当初にやっていた、ネットワークをまずつくり、次にサーバをつくり、その上にシステムを乗っける……。という作業も、AWSの機能としてまるっと提供され始めました。クラウドというツールに、大きな可能性を感じました。
同時に思ったのは、これからの時代に問われるのは“作る”から“使う”という発想への転換だな、ということ。市場にある技術をどう取り入れて、どう活用していくかが重要になっていくと確信しましたね。『モノ売り』から『コト売り』へとミッションが変わったような実感がありました」
主体的に動き、仕事を楽しんでもらうために、メンバーの「納得感」を大事にしたい
2021年からはクラウドに特化した新しい専門組織・クラウドソリューション部でアシスタントマネージャーを務める山本。
山本
「クラウド技術を用いたシステムインテグレーション業務で、プロジェクトの管理全般を担当しています。業務内容をわかりやすく言うと、お客様からクラウドに関する相談を受け、どういう実装ができるかを提案し、構築から運用までをトータルにサポートしています。
また、5名のチームメンバーを育成・サポートしながら、社内におけるクラウドの専門部隊としてチームをまとめています」
立場が変わったことで、「自分中心」ではなく「組織視点」を持つようになったと、山本は話します。
山本
「かつては、任された仕事の成果を出すことが最重要事項でした。でも今は、メンバーがいかに楽しみながら働けるか、一人ひとりがいかにパフォーマンスを出せるかに意識が向いています。また、チームのミッションやあるべき姿を自分なりに描き、『それを実現するにはメンバーがどのように動き、どう成果に結びつけるか?』という点についてとくに考えるようになりましたね」
全員20代のメンバーを育成・サポートする立場として、山本には大切にしていることがあります。
山本
「クラウドという新技術を扱う部署なので、固定概念の少ない20代のメンバーをあえて揃えたチームなんです。自分の経験上、若手のころは周囲から『これやって、あれやって』と細かい指示をされるより、自分なりに考える余白があった方が、仕事を楽しめると感じています。そのため、現在のチームでも、余白のある環境づくりを心がけています。
もちろん道に迷わないようにフォローはしますが、ある程度の指針を示したら、あとは自分で考えてもらう。『失敗してもいいから、自分で考えてやってみよう』と思えるチームにしたいと思っています。
また、若手ならではの感性を大切にしながら主体的に動いてほしい──そんな想いから、メンバーとコミュニケーションを取るときは、『説得』するのではなく『納得』してもらうことを重視。取り組みの意義や目的を本人が腹落ちするまで伝えることが、成果への近道だと考えています」
時代に求められるエンジニアであるために、知識をアップデートして武器を増やし続ける
若手時代から失敗を恐れずに挑戦を繰り返し、成長を遂げてきた山本。仕事をする上では「知識がなければ知恵は生まれない」という考え方をとくに大事にしていると語ります。
山本
「クラウドエンジニアとして仕事をしていると、対応する要件やお客様から求められる要望が幅広く、何かひとつの方法がほかの案件にも広く通用するケースはほとんどありません。
また、技術が進歩するスピードがものすごく速いので、自分が正しいと思っていた答えが次の日には古くなっている、ということもよくあります。
そうした状況において求められるのは、自分の知識の引き出しをアップデートしつつ、それをアイデアという形でアウトプットしていくこと。そのためにも、自分の知らない事象や技術に出会ったときには、またひとつ武器を増やせる機会だと前向きに捉え、楽しむようにしています。
だからこそ、20代のうちからたくさん挑戦して失敗と成功を経験し、知識や経験を貯めていくことが大事。自分の中に知識の引き出しがなければ知恵は出てきませんから、その意味では『挑戦しない』ということが、一番の失敗なのかもしれませんね」
パナソニック コネクトには、若手が責任を持って仕事に取り組める環境があると語る山本。自身がそうしてきたように、チャンスを掴んで動く意識があればたくさんの経験を積める会社だと断言します。そんな山本が描く今後の展望とは?
山本
「パナソニックグループには、長らく製造業で培ってきた『先鋭化したデバイス力』と『モノづくりのノウハウ』という『現場』での強みがあります。この強みをサービスやソリューションという形でビジネス展開していくための手段として、クラウド技術の活用は今後もますます重要になってくると思っています。
私たちパナソニック コネクトは、2022年4月から事業会社として独立し、人事制度や風土改革を進めて、自分たちが主体的にスキルやキャリアを磨いていける環境になってきたと自負しています。
今後は当グループのBtoB事業を支える存在として旗振り役となり、社内外から頼ってもらえるような強い組織を作りつつ、社会貢献にもつなげていきたいですね」
これまでグループが積み上げてきた現場力に、クラウドという新たな武器をプラス──そこから生まれるソリューションを多くの企業・社会に届けるために、山本たちの挑戦は続きます。
※ 所属・内容等は取材当時のものです
山本
「2年目からは、パナソニックグループが全社的に使用するコンテンツマネジメントシステム(CMS)をつくるプロジェクトに参画し、インフラ構築部分のタスクリーダーを任されました。
当時はまだ若手で経験が浅かったということもあり、自分にできるのかという不安もありました。でも、上長や先輩が若手にチャレンジする機会をくれたのだと理解し、期待に応えたいという気持ちも強かったです」